氣感あれこれ1
このページは思いつくままに書きます。雑話です。
心と意識
心とは何でしょう? 考える、感情を表現する、見る、聞く、行う、全てを可能にするもの? 心とはどこにあるのでしょう? 脳、胸?それとももっと別の場所?
子供の頃持った疑問です。考えるのは頭だから頭の中だろうか? 怖いときや恥ずかしいとき胸がどきどきするから胸の奥にあるのかな? 多分誰でも一度は疑問に思ったことなのではと思います。
心は意識の全てを統括するものであり、無限です。全てが可能で心には不可能と言う言葉は存在しないのです。そして、自分のものでありながらこれほど扱いにくいものはないのです。願望成就を心に描きながら、もう一方の心で失敗を思い描き、失敗が成就した場面を意思に反して増大させてしまいます。結果は失敗。意識の世界には善悪の区別はありません。今・在る・・・・・ただそれだけです。
自尊心ということ
自尊心はプライドと言われ、割と単純な意味で使われる場合が多いようですが、私は愛他心と対を成す言葉と解釈しています。文字通り自らを尊ぶ心、すなわち自分自身の超意識を至高の存在として崇める心の意としています。
対して、愛他心とは、自らの超意識を思うのと同じくらい他の人の超意識を崇め、愛しなさいということだと思います。人間の本質は肉体の美醜に関わりなく気高く崇高なものだということを理解し、実践したいですね。
霊性
霊性とは心の美しさと正しさを意味する言葉であると言えます。一般的に使用されている「霊」の字はあまりいい使い方をされていないように思います。霊=魂=超意識=本質=神我と考えれば決して如何わしい言葉ではないのです。
伝授
伝授はイニシェーションというのですが、ある人物の間違った指導により世間を騒がせた団体が、この言葉を盛んに使ったことで広く一般に知れ渡りました。そのため数多くの指導者がこの言葉を使うことに躊躇いと戸惑いを感じました。レイキではアチューンメント(同調)と呼ぶようになり、意味合いの違ったものを感じます。
私は3人の師から伝授を受けました。(現実には2人なのですが、3人目は実在の人なのかどうかわからないのです。)1人目はESPの石井先生です。伝授される前は雑念が沸いたらどうしようとか、集中しなければとかいろいろなことが頭に浮かびましたが、始まったと同時に全ての思いは吹き飛びました。
目を瞑った真っ暗な世界に突然ESPのシンボルマークがエメラルド色に輝きながら現れ、ものすごいスピードで行ったり来たりを繰り返しました。「根幹をなすもの」のところでも言いましたがESPはなぜかわかりませんがエメラルドなのです。終わりましたと告げられたときには、体中が燃えるように熱かった事を憶えています。
2人目はレイキの師です。許可を得ていませんので名前は伏せておきます。レイキのアチューンメントは真っ白い光と色とりどりの花が見えたのが特徴的でした。また同時に密教の灌頂も受けたのですが、不動明王の火焔とか仏像が黄金色に輝いて見えました。このときも体中が熱くなりました。
3人目?は瞑想中に現れた光体です。まばゆいばかりの白光から光束が放たれて私の中に入りました。また体は熱く氣が満ちるのを感じました。
嫌な人・嫌いな人
人は誰でも嫌な人だなあとか、あの人は嫌いだと言う相手がいるものだと思いますが、私たち人間が完全でない以上仕方ないことなのかもわかりません。もちろん私もそう思う人に出会うことがあり、気持ちが暗くなりかけることもあります。
それが仕事仲間であったり、クラスの同級生であったり、サークル仲間だと度々顔を合わせることになり、自然とその場に行きたくなくなる。やがて出社拒否・登校拒否といったことにも繋がってきます。
でも、それはきっと相手の悪い部分・嫌な部分だけを見るからではないでしょうか? 人間は完全ではないけれど絶対的不完全でもないのです。嫌な部分を1つ見つけたらよい部分を2つ探してみませんか? 無理して好きになる必要はないかもしれませんが、少なくとも嫌で嫌でたまらない気持ちは薄れていくと思います。
叱ると怒る
空手道場にくる子供たちを見て、最近よく感じることは親たちの叱り方が下手だと言うことです。ちっとも怖くなくなったお父さんの多いことにびっくりします。自分の感情の赴くままに怒りを表すことしかできない大人が多い中で育つ子供は誰が叱り誰が躾をするのでしょう。
空手道場の保護者は私たちに叱ったり・躾けたりをお願いしますと言ってこられます。優しいことと叱らないことはまったく別のことですよね。また叱ることと怒ることは違うことです。間違っているのを直そうと厳しく言い、諭すことが叱るの意味ですよね。時には叩いてでも諭さなければならないこともあります。
逆に怒るというのは腹立たしい感情が前面に出てしまうことで、そこには愛情のかけらもないことをいいます。100人くらいの子供たちが空手を学んでいます。中にはちゃんとできない子もいます。そんな子に怒りをぶつける親がいます。ふざけてほかの子に迷惑をかける場合は叱ります。でも努力をしてもちゃんとできない子には励ましの言葉が必要ですよね。怒ることはやめて叱ることにしましょう。
エネルギーグッズ1
様々な呼び名で呼ばれ、多くの人達から愛用されているものに「エネルギーグッズ」と言うものがあります。他にも波動グッズとかパワーグッズとか言う人もいらっしゃいますが、ここではエネルギーグッズで統一します。これらのものに本当に力があるのでしょうか?
私は「レイキ」における「シンボル・マントラ」と同様にあまり価値を認めていません。氣の世界を研究し始めた頃はいいと聞けば借金をしてでも買ったり、無理をして買いました。効果が認められた時は人に紹介したりもしたのですが、私に効果があっても友人には全く効果がないことや、逆に人から薦められても私には効果がなかったりは何故なのかを考えた時、全ては自分にあると判ったのです。
同じ物を同じ時期に同じ目的で購入しても顕現する効果は全く違うことが多い。それはグッズそのものではなくグッズに感応する自分の意識の波動により変化するのです。グッズのエネルギーはそのものの形状に作成者の波動がプラスされているものが殆どです。
今、何種類かのグッズが目の前にあります。波動が高い、強いと評判のものばかりです。でも人の病を本当の意味で癒したり、幸運に導くほどのエネルギーがあるとは思えないのです。微弱な「気」エネルギーはあっても根源の「氣」エネルギーに匹敵するものではないのです。私たち自身の「意識」の微細な粒子の持つヴァイヴレーションには程遠いものです。
中には何百万、何十万もするものもあります。何がありがたいのでしょうか? 以前は私も傾倒していました。でも前述のように持つ人によって効果が大きく違うことが分かってからは買うことは止めました。
それよりも自分の意識の次元を上げることの方が遥かに重要で意味のあることです。グッズが欲しければ高次元意識を持つことにより、自分自身で作ることも可能です。どんなものにもエネルギーの封印は可能です。でも高額で販売しないでください。意識の向上を目指しましょう。「聖域に至る意識改革」が必要なのです。それによりエネルギーグッズは全く必要なくなります。なお、私は生命根源エネルギーを「氣」・個々人が修行して後天的に得た物理エネルギーを「気」としています。