神我と真我1
本質を見つめる
意識を高める方法として私が行っているのは瞑想です。瞑想とは冥界を想うことであり、自分の本質を見つめる事を言います。自分とは何か、自分はなぜこの三次元世界に肉体を持って存在するのか、突き詰めていけば答えの出しようのない問いばかりのようですが、全ては自分であり自分は全てなのです。
自分の中にすべてが在り、全ての中に自分がある。まるで禅問答のようですが、有名な般若心経はこのことを説明しています。物質と精神は同一の物であり形が変わっているだけの事。本質はすべて同じもの。
例えば水と氷と水蒸気の関係を考えてみましょう。普通の状態では水ですが、バイブレーション(意識)が下がってくると固体化し氷となります。逆にバイブレーション(意識)があがると気体化し水蒸気の状態になります。三つの状態を表しても本質はひとつなのです。氷を見て水だと言う人はいませんが、溶けた状態になるとほぼ全員が水だと言うでしょう。
このように本質は同じものなのに形を変えて別のもののようになっている例は、私たちの周りにいくらでもあることに気が付かれたと思います。
私たち人間が私たちの本質を認識し、常に意識の向上を図る事を修行といいます。真(神)意識に目覚め自己確立することが現世における使命であるといえるかもしれません。
瞑想とは
一口に瞑想と言っても巷には何種類もの瞑想法があります。〜式瞑想法といった形で書籍やビデオで紹介されています。指導者の数だけ〜式があるのではと思ってしまうほどですが、どのような瞑想法にしろ根源は自己の意識の向上を図るものであるということが必要です。
瞑想というと座禅を組んで目を閉じて・・・といったものを想像されるかもわかりませんが、実際には日常の生活の中で行動しながらでも行えるものなのです。慣れてくると意識の切り替えだけで瞑想できるようになります。真面目に?指導されている先生方からお叱りを頂戴するかもわかりませんが、私は形態よりも意識の持ち方に重点を置くべきだと思います。肉体を使っての行は意識を伴って初めて行と呼ぶのであり、意識の伴わないものは行とは言いません。
ただし私は肉体行はお勧めしません。苦行といってもいい肉体行には得るものはないと考えます。肉体を鍛えるにはもっとほかに適したものがあります。スポーツや運動を楽しむことでいいと思います。
瞑想は本来、時も場所も選ばないものですが、最初のうちはできるだけ静かな落ち着ける時間と場所を設定するほうがいいでしょう。リラックスできる環境設定をします。長時間瞑想する必要はありません。短時間でも中身の濃い瞑想をしましょう。
全てを創造したエネルギーと本当の自分(真我)はひとつであることを想います。
その想いが実感できたとき真我=神我となります。
また、いわゆる超能力といわれる力の開発のために瞑想を実践されている人が随分多く見うけられます。でもそれは正しいことなのでしょうか? 超能力を得て何をするのでしょう?
私も同じ気持ちを持ったことがあるので否定はしませんが、それが目的となってはならないと思うのです。力を得たあとどうするかを目的とすべきでしょう。もっとも超能力などと言うものは存在せず潜在的に全ての人が持っている能力と言ったほうが正しいと思います。それを思い出すだけのことです。
言い古された言葉ですが「世のため、人のために役立てる」べきでしょう。目的意識が間違った方向に行くと心の膨張が起こり、組織をつくり自分だけが神だと思い込み、人々を惑わすことになってしまいます。